お墓の歴史

縄文時代のお墓

約15000年位前は遺骸をそのまま土の中に埋葬する土杭墓とよばれる葬法を行っていました。

弥生時代のお墓

朝鮮半島から伝来した、大きな一枚の岩をお墓の上にのせた支石墓がこの時代には見られます。遺骸は土の中に直接納める場合と石棺に納める場合とがありました。

古墳時代のお墓

古墳時代の代表的なお墓は大阪の堺市にある仁徳天皇陵のような前方後円墳です。
土を高く盛り上げて造った頂上付近に死者を葬るものが建立されました。

中世のお墓

大化の改新で墳墓の造営を戒めた「薄葬令」とよばれる詔勅が出され、お墓の規模・葬儀のあり方等細かく記され、お墓の本当の歴史がこの詔勅によって開始されたともいえます。
この時代に仏教の火葬の風習を伴ってインドから中国を経て日本に伝わり一般化します。

近世のお墓

貴族の中に溶け込んでいた仏教は庶民の中に浸透して現世の福徳を祈るものでしたが、在来の神々信仰と混合してゆく事で葬送儀礼と結びつき村々の墓に寺が建てられたり、寺に境内墓地がつくられる庶民は盛り土をし目印として木や石を置く程度でした。
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近代・現在のお墓

明治維新によって檀家制度は法律の上での根拠を失いますが、人々と寺との結びつきは強く仏葬も減少することなく今日に至っております。
都市に人口が集中し近代的な公園墓地が出現した土地不足が生じたからです。
明治7年に作られた青山、谷中、雑司が谷、染井の公営墓地が一杯になり大正12年に多磨墓地が作られ、昭和10年に八柱霊園、昭和23年に小平霊園が作られました。その後も昭和46年には八王子霊園が作られています。
従来からの寺院墓地、公営墓地だけで墓地需要を解消することは出来ず民営によって管理、運営される霊園が次第に増加して現在に至ります。
また生前建墓される方も増え、新しい墓所形態も定着してきています。

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